Column :: vol.6 | 家族の再生

すれちがい家族

最近毎日のように、ニュースとして報道される子供の自殺、いじめ、家族間による殺人、ドメスティック・バイオレンス、不登校、ニート等、家族・子供に関わる様々な問題がクローズアップされています。

安倍内閣においても、美しい日本、教育の再生が大きなテーマとなっています。特に子供の自殺・いじめの問題は、いじめた当事者よりもその担任の教師、校長先生、教育委員会の対応の不備を指摘し、ワイドショー的に犯人探しをしているようです。

しかし、いじめ等によって自殺をした両親からすれば、そのやり場のない悲しみ、悔しさを教師・学校にぶつけてみたところで、心の片隅では、どうして親である私が“子供の変化”に気づいてあげられなかったのかという、自責の念にさいなまれているのではないでしょうか。

“子供の変化”に気づくには、家族・親子の良好なコミュニケーションが前提となることに反論の余地はありません。しかし、“サザエさん”“ちびまる子ちゃん”の家族の環境が今の日本に存在するのはレアケースです。年功序列がなくなり、能力の市場評価によって給料が決まる社会においては、父親は夜遅くまで残業、夫婦共働き、少子化の傾向、子供は塾通い、まさに“すれちがい家族”です。

夕食を茶の間で家族そろって食べることが殆どなく、同じ家に就寝することだけが家族関係を確認できる唯一の証であるという、“家族のコミュニケーション”にとっては最悪の環境といえます。

アメリカホームドラマへのあこがれ

アメリカ・シアトルの街並み

戦後、特に団塊世代の人達の青春時代、アメリカ文化が日本を席巻しました。音楽、映画、テレビドラマ、ライフスタイルに至るまで、そのアメリカの豊かさに圧倒され、盲目的に様々なものを取り入れました。

特に映画やテレビドラマに映し出される住まい、電化製品、自家用車はあこがれの対象となりました。あこがれのアメリカのマイホームでは、子供が小さな頃から個室が与えられます。一方、我家を振り返ると、個室を呼べるものはなく、親子、兄弟が雑魚寝をする生活。そのギャップとあこがれは相当なものであったと思われます。

 

個室を与えることが親の役割

団塊の世代にとってのマイホームは、日本の高度成長も手伝って、モーレツに働けば実現できることになりました。自分の子供の頃には与えられなかった個室を、我が子に与えることが父親の大きな役割であるかのごとく、又当時のマイホームを表現する大発明である3DK4LDK等といった個室の数を一つの豊かな生活の指標として、庭付一戸建を購入することが人生の大きな目標となりました。

アメリカホームドラマでのマイホームの豊かさへのあこがれやある種の劣等感が、マイホーム取得への大きなエネルギーとなったと思われます。
結果として、日本人のライフスタイルとは無関係な個室重視の家ばかりが増えてしまいました。

高度経済成長期の中流家庭のマイホーム関西の住宅地 1999.03 : 日本建築学会近畿支部 住宅部会編より 

すれちがい家族と個室重視のミスマッチ

家づくりに携わる私達からすれば“すれちがい家族”の現状と“個室・プライバシー重視の間取り”にミスマッチがあるのではということです。つまりこれだけ家族全員で過ごす時間が減っているにもかかわらず、個々に独立動線を確保するための廊下や、ドアを閉めれば100%プライバシーが確保される子供部屋が、家族のコミュニケーションの阻害要因となっているのではないでしょうか。

家族間の楽しいコミュニケーションを主題とした“サザエさん”“ちびまる子ちゃん”において、平屋の旧来からの日本家屋をモデルにすることと、一人子の子供の夢を実現した“ドラえもんの家”が2階を子供部屋が専有し、1階で両親が就寝する個室重視の家を選んだことは、注目すべきことだと思います。

子供の問題行動と間取りについて

次の3つの間取りを提示します。

アメリカ・シアトルの街並み

 


A、Bにおいては、どこにでもありそうな1戸建で、Cは少し郊外に行けば離れを建て増しした農家等によくある間取りです。しかしよくみると、そこにはいくつかの欠点が見受けられます。

Aはまさに“ドラえもんの家”のように、1、2階で親子が分散して部屋を持ち、しかも夫婦別室で生活しているようです。2階の子供部屋へは、家族の顔を見ずに直行でき、風呂やトイレも独立動線となっています。Bは居間をピアノ教室に利用しているようで、家族のくつろぐ場所がない。またキッチン以外に食事をする場所がなく、生活イメージがわかない。Cにおいては、母屋と離れが複数棟あり、大家族であるが、おじいちゃん、両親、子供がそれぞれの棟で生活している究極の分散型の住まいです。大家族にしては、台所が極端に狭く、小さな4人掛けのテーブルとなっています。これは多少極端な例かもしれませんが、これに近い住まいはよく見かけます。ところがこの3例は、誰もが知っている社会を震撼させた少年事件の家の間取りです。

Aは金属バット両親殺害事件です。家族でありながら、家庭内別居を可能にした間取りです。子供部屋の位置は、玄関から誰の顔を見ることなく、階段で2階の子供部屋に行けます。お父さんが夜遅く帰ってきても、子供が外出しているのか、帰っているのかわからない。親が気付かずに外出できる。風呂に入るにも独立動線であり、家族と目を合わす必要がない。2階は子供部屋だけで専有しており、問題行動の子供にとっては最も都合が良い。まるで“ドラえもんの家”のようです。新潟少女監禁事件もこのような間取りでした。

Bは女子高生コンクリート詰め殺人事件です。この少年は小学生になってから“両親と一度も食事をしたことがない”と供述しています。

Cは宮崎勤連続幼女殺人事件です。別棟にいく廊下をつくるためにそれまでの食堂を削り、狭くなった食堂にはちゃぶ台代わりに4人掛けのテーブルと椅子。宮崎勤は、ゴミとして捨てられたちゃぶ台を自室に保管していました。6人家族全員で食事をしたことが、彼の楽しい思い出だったのかもしれません。
(以上A、B、Cの間取りについては、2002.3.13住宅情報からの要約)

問題行動のすべての原因が家の間取りにあるとまでは言えませんが、間取りがもう少し違ったものであれば最悪の事態は避けられたのではないかというのが、私達のこれからの住まいづくりにとって重要なポイントであると考えています。

いじめ、自殺、進学、ニート、不登校、子供のうつ病等、我が子の微妙な変化をいち早く親が気付いてあげられるような間取りが、まさに“すれちがい家族”を余儀なく強いられる現代社会において必要であると考えます。“ドラえもんの家”ではなく、“現代のサザエさんやちびまる子ちゃんの家”が今求められています。

おおげさに言えば、地域コミュニティや家族の再生がないと、“教育や美しい日本の再生”はなく、日本の最も大きなテーマであると考えます。

次回のコラムは『日本家屋と心の関係』です。お楽しみに!