Column :: vol.11 | アウトソーシングと近代化

アウトソーシングによる虚無感と歪み

かつて住んでいた家は昔風で、ガラガラの引き戸で隣近所との関係も濃密で煩わしかった。都市化の進んだコミュニティは煩わしい人間関係や因襲から解放され、鍵一つで周りすべてを遮断できます。
その生活は当時特に女性にとっては、その痛快感や解放感は計り知れないものがあったと考えられます。
間取りも "サザエさん" から "ドラえもん" の家へ変化したように個室が普及し、家族のしがらみからも解放され、ドアの鍵一つで「プライバシー」という誰も異議申し立てができない印籠のようなものが確立したおかげで、親が子供部屋に入るのも許可が必要な時代になりました。

このようにして職場や親戚、近隣との濃密な人間関係よりも「家族中心」、「個人中心」による同質な者同士の生活に心地よさを覚え、そのような生活がむしろスマートで現代的であるという感覚と、人生の大きな目標の一つにマイホーム暮らしの実現が上位を独占するという相乗効果もあり、1960年以降の都市化の中で爆発的に新しいライフスタイルとして広まりました。
しかしこのような生活を手に入れ生活していく間に、人々の価値観は変わり、コミュニティや個人生活に何となく満たされないものがある。虚無感さえ感じるようになってきました。
又、社会的な歪みによる所得格差、伝統的な共同体の崩壊、治安、教育、福祉予算の捻出、財政赤字、ニート、引きこもり、少年犯罪、家族間殺人、家庭内暴力等、様々な問題が露呈してきました。かつて様々なかたちで生活に関わってきた「営み」を近代化という名のもとに、行政やサービス産業にその大半をアウトソーシングしてきたことによる "空洞化" がこのような問題の一要因になっているのではないでしょうか。

地域や家族の関わりを新たに生み出す「仕組み」を見つけだし、アウトソーシングしたものを見直すことが必要です。バラバラになった人間関係を再構築するために、私達の生活に「インソーシング」すべきものを模索することが、"これからのまちづくり・家づくり" には必要です。

次回のコラムは『インソーシングへの目覚め』です。お楽しみに!