Column :: vol.7 | 日本家屋と心の関係

美しい国日本の家と子供の関係

桂離宮に代表される日本建築の美しさを世界に広めた、ドイツの世界的建築家ブルーノ・タウトが、その著書「ニッポン」<森儁郎(としお)訳>の中で、

"他国民の場合に比して、物分かり好(よ)く悧巧(りこう)な点で遙(はる)かに優(まさ)っているように見える日本の児童は、常に大いなる喜びの種子である。私は、ある一つの些細(ささい)な場合を除いては、未だかつて子供が乱暴をはたらいたのを見たことがないし、またどこへ行っても、街頭交通、ことに自動車に対して日本の子供ほど賢く振舞うのを見たことがない。
〜中略〜
母親に背負(せお)われた幼児が母のする動作を絶えず見守っているのをよく観察したことがあるが、これらの動作の意味が大して説明も要せずに自然に彼等の心に刻まれるのである。
〜中略〜
子供のこの物分かりの好(よ)さもまた、典型的な日本的な生活法、居住法に対する一つの前提である。たとえば紙の襖や障子は、子供のこういう特性がなかったらいったいどうなってしまうことだろうか?"

ここでタウトがいっていることは、日本家屋の住空間の特徴が家での作法(特に子供の行動パターン)やコミュニケーションを規定するのではないかということです。日本の子供たちが西洋の子供と比較して、自分の動作、行動様式を美しくふるまうことができるのは、障子、襖といった破れやすい材料で構成されており、美しい作法が幼少の頃から修得できることにあるのではないかということです。(以上「美しい日本人」齋藤孝著からの要約)また日本家屋の特徴として、空間の序列がはっきりしており、サザエさんの家における波平の部屋がそれを明確に物語っています。

ところが個室としての認識が薄く、欧米では子供が大人の寝室に入ることは基本的に許されないが、日本の一般家庭では家全体どこでも行き来でき、子供がいかなる片隅へ入り込んでも障害となるものは何一つありません。家族のコミュニケーション、子供のメンタリティにとって最適な家の構造であるといえます。個人的空間は近代になってから出てきたものであり、日本では昭和30年代後半以降、子供部屋が爆発的に増えてしまいました。元々ちゃぶ台で勉強をしていた子供が、受験勉強のためと個室へ追いやられ、親が子供部屋に入るのに許可がいるというバカげたことが、一般化しつつあります。本来日本の家屋が持っていた優れたものを、すべてなくしてしまったようです。

障子(京の数奇家 京都書院)襖(京の数奇家 京都書院) 


ドラえもんの家や、子供が事件を起こした家の間取りは、かつての日本家屋の良さを忘れたものであり、最近の子供達が落ち着きがなく学級崩壊を招いたり、些細な事でキレてしまう要因の1つに、住まいが少なからず影響を及ぼしているのではないでしょうか。

壁に耳あり障子に目あり

大阪の長屋(寺内信 INAX)

日本の家屋の構造であればこその例えです。日本人は居酒屋でも銭湯、温泉においても、あまり仕切ることを望んでいないようです。居酒屋においては、隣との席を簡易なついたてやすだれで仕切りますが、隣の声は丸聞こえ、立てば丸見えです。一応聞こえないこととする、見えないこととするといった暗黙の了解があります。銭湯においても、法律で混浴が禁止されても長年そのままの状態を続け、男女の仕切りが出来たのは近年になってからです。旅館の部屋には鍵がなく、温泉地に行けば男女混浴はたくさん残っています。長屋生活においては、隣の夫婦が仲が良いか冷戦状態にあるか、隣のおやじが酒ぐせが悪いかどうかぐらいは、隣近所の奥さん仲間では周知の内容でした

本来私達は完全な個室よりも、みんながワイワイガヤガヤしている一体感を望んでいるのではないでしょうか。日本にはお花見、お祭り、新年会、忘年会等、みんなで楽しむイベントがたくさんあります。個を確立しながらプライバシーを守るよりも、仕切ったふりをしながら孤立感を感じないでいることを望んでいます。個として生きていくことの不安感やたよりなさを奥深いところで感じており、できるだけそれらを薄めることの工夫をしてきたようです。誤解を恐れずに言及すると、最近の個人情報保護法案の行きすぎた解釈やそれに過剰に反応している風潮、学校OBの卒業名簿も作れない状況に、少なからず違和感を覚えるのは私だけでしょうか。これからの住まいにおいては、仕切ることと繋ぐことを巧みに組合せながら、私達のDNAにマッチしたものを追求していく必要があります。

明治以降、日本は欧米を真似したけれど、どうもしっくりきていない。ちょっと遠回りしたけれど、私たちが古来から大切にしてきた人間関係であるとか、間合いの取り方とか、自然との関わりにおける万物の生命を大切にする考え方等を、素直に表現した家やランドスケープが求められているのではないでしょうか。そしてその考え方は21世紀の地球環境を考える上でも、日本人としては最も古く世界では最先端のコンセプトとなるのではないでしょうか。

 

part2につづく …… 次回おたのしみに